「あれがアデルハビッツよ」 先頭をあるいていたアーリアが仲間達を振り返り視線を向ける。 アーリアが背を向ける先には高い塀に囲まれたこの辺りでは一番大きな集落が一つ見える、最果ての街として名高いアデルハビッツはその名前の通り誰も近づくことのない雪深い地にあった。今でも身を切るような雪混じりの冷たい風と膝丈まである雪が体力を奪っていく。ここ数日ろくに宿に止まらずキャンプばかりしてきたからか、皆体力の限界にきていた。 「クベールに話を聞くのも大切だけど、その前に宿で休息をとりましょ。ルビアもう少しだから頑張ってね」 パーティーの中で一番体力がないであろうルビアに向けてアーリアは声をかける。プリセプツを使う彼女自身もルビアとそうそう体力には変わりはないのであろうが、元々この地方の出身だけあって寒さや雪には慣れている。その分ルビアに比べてまだ余裕は残っているようだった。 「ありがとう、アーリア。ほらカイウス、あたしの前を歩いて道を作ってちょうだい」 「何だよそれ、俺だって疲れてるんだぞ!」 「何よ、レディを気遣うくらいしてくれたっていいじゃない!」 ルビアとカイウスはじゃれ合う子猫のように互いに顔を詰め合わせる。 その元気な様子にアーリアは苦笑を零し、ティルキスは肩を竦めた。そして言い争いの末にこの中で一番体力の残っているであろうフォレストが二人を諌め、先頭で道を作り、カイウス達が後に続くことになった。今までもこうして仲間を気遣ってくれていたフォレストだが、彼も山奥のサンサの里の出身の為か寒さや雪には慣れているのかもしれない。最後の殿を務めながらティルキスはそんな事を思った。 そうして自分よりも少し前を歩くアーリアに視線を向ける。 彼女は傍目には微笑ましいとしか言えない可愛らしい喧嘩を続けながら自分の前を歩くカイウスとルビアに視線を向けながら、口元を緩める。彼女にはこの里帰りは辛い思い出しか残っていないと思っていたティルキスはその様子に心からの安堵を覚えるが、次の瞬間に視線を故郷の街に向けたアーリアの顔にそれが間違いだったと知らされた。 酷く、酷く悲しそうな顔をしてアーリアは唇を噛み締めながら故郷の街を見た。 その顔はティルキスが一度だけ見たことのある、失った恋人を想い涙を流した時の顔と同じだった。カイウス達から離れて声を上げてかの人の名前を呼びながら涙を流した時の顔と同じ、顔。だが、強い彼女はその悲しみを自分の心にだけに仕舞いこんで耐えようとしている。きつく唇を噛み締め、首を左右に振って邪念を取り払おうとしていた。 無理もない、そうティルキスは思う。アーリアがアルバートを失って今だ数日しか経ていないのに、彼との思い出が詰った故郷の里に帰らなければならないのだ。自分だったら逃げ出したい、そう思ってしまうかもしれない。だが、彼女は自分の運命に立ち向かうと決めたからこうして仲間として共に来てくれる。 「アーリア……」 ティルキスは口を開いてからアーリアに何を告げるのか考えていなかった事に気がつく。大丈夫か?≠ネどと口にすればきっと彼女は大丈夫≠ニしか答えないだろう。強い人だから。 「さ、寒くはないか? この地方は凄いな、センシビアとは大違いだよ。センシビアは太陽が豊かな国だから雪が降る事が滅多にないんだ」 我ながら急な話題の振り方だと思う。この相手がルビアやカイウス、フォレストならうまく気に抜けられるのにアーリアになるといつもの調子がでない。かっこよく決められない。 「ええ、大丈夫よ。それより寒さに慣れていないティルキスの方が辛いんじゃないかしら?」 「そ、そうだな! こういう時は君の駄洒落で温かくなりたいと思うよ」 「それじゃ、宿についたらとびっきりの駄洒落をティルキスに教えてあげるわね」 それは逆に宿が凍りつくかもしれない……、ティルキスはそう思いながらもアーリアに、頼むよ、と言葉を返した。こうなったらフォレストにでも一緒に付き合ってもらうしかない、氷点下よりも寒いアーリアの駄洒落地獄に。 「ティルキス」 ふっと、そんな事を考えているとアーリアがこちらを振り返りりふんわりと微笑んだ。極寒の地にいるというのに春が訪 れたような花のような微笑。 ティルキスは一瞬瞳を奪われる。 「ありがとう、アルバートの事を気にしてくれて。わたしは本当に大丈夫よ、仲間達がいてくれるもの。それに貴方がこうして励ましてくれるから、辛くはないわ」 「……」 最初から気付かれていたのかと、ティルキスは困ったように笑みを返した。 本当に自分はアーリアの前では形無しだと思う。センシビアの女の子達相手ならうまく立ち回れるのに、こうして本気になった途端どうだろう。だが、本気で好きになった女の子だからこそこうして苦しんでいる姿を見て、慰めたいと思ったのかもしれない。 アーリアは再びティルキスに背を向けて故郷の街へと歩き出す。白い、白い、雪に囲まれた閉鎖された世界の向こうには、同じく強い壁で自分を戒める彼女の心があるようにティルキスは思えた。いつかその心が自分に向いてくれたら、そう願う。 きっと時間はかかるだろう、アーリアがアルバートの事を乗り込えるまでには時間がまだまだきっとあるはずだ。 だが、ティルキスはそんな彼女を手放す事はできない。胸には灰色の空から降り積もる雪のように愛しい想いが積もっていくのだから。 だいじょうぶ、だいじょうぶ(10.06.22) |