どうしてだろう、リチャードを知らないのに。どうしてだろう、胸がすーすーする。
 どうして? どうして?

「大丈夫か、ソフィ」

 アスベルが額を流れる汗を拭いながら、こちらを振り向く。
 友達のリチャードに私を預ける、そう言って船でバロニアに来てからずっと追っ手から逃げるようにして、隠れては走り、走っては隠れての繰り返しでアスベルの息は酷く乱れていた。わたしも少し苦しい。

「うん」

 ドキドキといつも良く早く音のする胸を押さえながら、首を縦に振るとアスベルの手がわたしの髪をくしゃりと撫でる。
 初めて出会った時もそうだった。アスベルはわたしの頭をよく撫でる。
 大きなアスベルの手。優しいアスベルの手。初めて触れられた時から、どこか懐かしいような気持ちが胸の中に浮んでくる。わたしはその手を知っているような気がするけど、でも知らない気がする。わたしの知っている手はこんなに大きくなくて、もっと小さくてでも優しい手だったような気がする。
 わからない。
 でも、どうしてだろう。同じようにアスベルに撫でられているのに胸はいつものように温かくならない。寒い……、とは違うような、でも凄く大切なものを失ったような気がするように、どこか苦しい。
 アスベルの手が震えているから?
 いつもは優しい笑顔を向けてくれるアスベルの顔が、唇を噛んで辛そうな顔をしているから?
 それとも、わたしもリチャードが死んでしまって悲しいのかな?
 どうして?
 でも、リチャード。その名前もアスベルの手と同じで懐かしいような気がする。どこかで聞いたことあるような気がする。
 
 「アスベル、わたしまだ走れるよ。だから」

 驚いたようにアスベルが目を大きくして、そして私の好きな顔になる。でも少し泣きそうな顔だった。 

 「ああ、リチャードは絶対にどこかで生きているはずだ。探そう」
 「うん」

 どうしてリチャードのことを思うと胸が苦しいのかわからない。
 でも、アスベルが苦しそうな顔は見たくない。震えるアスベルの手は凄く悲しい。
 わたしもリチャードが生きていてくれると、嬉しい。

 どうしてだろう、リチャードを知らないのに。どうしてだろう、こんなに生きてくれているといいなって思うのは。






震える君の手、震える私の心(10.05.17)