紫闇の玉座(下巻)発売前妄想



ぐらっ。と、視線の先にあった細い体が揺れた。
咄嗟に飛翔はその体に手を伸ばす。か細く緩やかな曲線が腕の中にすっぽりと収まる。艶やかな黒髪から覗く顔は蒼白で、瞳には薄らと隈すらできている。化粧をしてそれなのだ。目に見える以上にその体が限界を迎えているのは、飛翔にもわかった。そうしてその本人も自覚はしているのだろう。

「管尚書、申し訳ない」

緩慢に頭を振り、凛は体制を立て直しながら片手で顔を覆った。その様子は不甲斐ない自分を叱責しているようにも見えて、飛翔は顔を歪める。
無理もない。そう思った。
ここ数日、飛蝗対策の大詰めとして工部に泊まり込みの突貫作業だ。男で体力にはある程度自身のある飛翔ですら、態度には見せていないが辛いと感じてる。それが、女性の凛となれば負担は男以上だろう。現場の指揮を執る飛翔と並んで、技術面で指揮を取る彼女には想像以上の心労がたまっているはずだ。

「いや、これくらいたいした事はねぇ。それよか、奥方殿も一度仮眠を取ったらどうだ。あんたも殆ど寝てねぇだろう。つっても、ここじゃ落ち着かねェから悠瞬にでも掛け合って仮眠室でも借りてやっから」

心配からだった。大事なダチの奥方だから、そんな気遣いから出た言葉だった。

「心配ご無用。私はそんな軟な女ではないからまだ大丈夫だ、それよりも管尚書こそ休んでは如何かな。私の見ている所貴公の方が休憩を取られていない」
「俺はあんたより丈夫にできてっからなこれくらいなんて事はねぇ。それに……、今も頑張ってやがる部下や技師をほっといて俺が休めっかよ」

脳裏に浮かぶのは故郷へ駆けて行った副官の姿。彼も含め、飛翔にとって大事な部下だ。そんな部下や、徹夜で作業を続けている技術者に背を向ける事など飛翔の矜持が許さなかった。自分が休むとすれば、視界に広がるこの光景が一段落ついた時。
凛が微笑む。その名の通り凛とし、毅然とした笑みを飛翔に向けた。

「私も同じだ。旦那様が今も頑張ってらっしゃるのに、ここで私が休む事などできない。それにここで尚書令の妻として実力を見せなくてどうする、私の働きはすべて旦那様への賞賛に代わるのだからな」
「……そうか」
「ああ」

否応なしに口元が緩むのを飛翔は自覚した。微かに顔を俯けて、友人の為に笑う。
心配は余計なお世話だったらしい。だが、それが飛翔には嬉しかった。ここまで友人を想ってくれる相手に巡り会えた出会いに。彼女の存在が友人の少しの安らぎになっているだろう事を感じて、緩む頬を止められなかった。
それに、ここに立ち続ける覚悟が同じとは心強い。前に進もうとする意志の強い人間程、頼もしい者はいなかった。

「それじゃ、頼むぜ!」

最後に気合を入れるようにその肩を叩くと、彼女が大きく頷くのがわかった。






妻とは強いものです。(11.06.29)