戦場で飲む酒はどんな美酒でも水のように感じられた。舌が麻痺していたのか、それとも毎日毎晩繰り返される激戦に感覚を失っていたのか。志美は嚥下した酒が喉を潤すのを感じながら、遠い遠い少年兵時代を思い出した。死体の焼け焦げる嫌な臭い。腐臭交じりの鼻を突き抜ける死の臭い。死を運ぶ鳥が天まで突きぬけているのではないかと思う程に蒼く澄んだ空に線を描き。感情の籠らぬ空虚な瞳でそれを見ていたあの頃。残飯よりまし程度の飯に振る舞われた酒を味気なく感じた。それは戦争が過酷さを増す度に酷くなり、度数の高い酒を水のように煽っても酔う事などなくなり。そして銘酒と呼ばれる上等な酒を口にしても味を感じなくなった。全て戦争によって引き起こされた弱い心の表れだったのだろうと、今なら思う。 「私の酒が飲めないといんですか、劉州牧……!!」 「やっ、やっだー荀ケったらそんな怖い顔しちゃって。酒に飲まれて良い男が台無しのクソ酷い顔になってるわよ」 「やめてくださいその口調、気持ち悪いです。部下が私しかいないからと気を抜かないでください、いつ何時何が起こるかわからないのにあなたがその調子では下に示しがつかない所か、ますます下に舐められてしまいますよ。わかっているんですか。あなたは下の者から何と言われているのか!!劉州牧、ちょっとどこ行くんですかここに座りなさい!!」 床板をバンバンと叩く音が室に木霊する。幸いの所、今この州府には志美と荀ケの二人しか残っていないがこれは酷い。予想以上に酷い。志美は完全に目の座った副官の前に逃げ腰だった腰を落ち着かせて自分の失態を罵った。荀ケがここまで酒に弱いとは予想外で。育ちのいい坊ちゃんだとは思っていた。だから貴族の付き合いに酒の席は付物だと思い、軽い気持ちで紅家からパクッた銘酒でこいつと酒を酌み交わすのもいいだろうと思ったのだ。友と杯を交わすなど何十年ぶりだ。だが。現実は。 「聞いているんですか!!!」 真っ赤に酔いの回った顔でズイッと酒が突き出されてくる。これを飲み干さなければきっとこの副官は解放してくれないのだろう。今日何度と交わしたやり取り。妙に懐かしく、古い記憶を想い出させるようなその仕草を頭から振り払うようにして杯を受け取った。正直、荀ケよりは酒に強い志美もそろそろ酔いが回り始めてもいい頃だろう。飲まれる前に副官を潰して寝かすなりなんなりしなければ、明日の政務に支障を来す。いや、もう既に目の前の男に明日はないかもしれない。 「おーおー聞いてる聞いてから、お前もほどほどにしておけ。明日役に立たなくてもマジで知らねーからな!」 「役に立たないのは貴方のその無駄な口調ですよ。本当に似合いませんよ」 「おい、今はちゃんとオッサンらしくやってるだろう」 志美は呆れたように息を吐く。酔っ払いに何を言っても無駄だ。だが、気持ちが高揚してしまうのはこういうのも悪くないと思うからだろうか。最悪よりマシな世界で新たに得た友人と酒を交わすのも本当に悪くないと、そう感じるからだろうか。明日になれば日常に戻る。また、州官達の妬みと嫌味と嫌がらせの日々に。 しかし、それもすべて世界が最悪ではないからだ。そう思うと、志美は杯に口付ける瞬間に嫌でも頬が緩んでしまうのを自覚した。 喧嘩ばかりだけど(11.06.17) |