葬儀を済ませた後、ソフィは裏庭に佇んでいた。
 旅に出ようと思うのだ。
 ラントの人達は優しくて、誰もがソフィの事を家族の一員だと思い優しくしれくれた。ずっとこの地に留まり、彼らの英雄伝を語り継いで欲しいと乞われた。見守って欲しいと望まれた。ラントがソフィの故郷だからと言ってくれた。
 それでも、ソフィは旅に出ようと思ったのだ。
 ふらりとこのラントの地へ帰還する事もあるだろうが、それでも彼らとの思い出はソフィの胸に深く深く根付いている。一か所に留まり、彼らの思い出を思い出すだけの日々を送るには辛すぎる毎日だと思った。
 ソフィにとって彼らとのすべてが愛おしいのだ。
 この裏庭で幼いアスベルとヒューバート。彼ら二人と出会ってからの記憶がすべて愛おしく、輝かしい。懐かしくて、まだ、やはり思い出すだけで自然と視界がぼやける。過去を思い出し、約束した未来へ繋ぐ為にはソフィにはもう少し時間が必要なのだ。
 だから。
「世界をもう一度見てみようと思うの」
『そうか』
 今は星の核と同化したラムダが振動だけでソフィの言葉に答える。
 こつんと誓いの木に額を当て、ラムダに意識を送る。この場所が元素に満ちた場所だからできるのか。それてもソフィとラムダの特別な繋がりかわわからない。だが、アスベルが死を迎え、ラムダが星の核となってから何度かこうして意思疎通を行った。今は唯一、ソフィにとってアスベル達との思い出を共有できる大切な戦友。この誓いの木にも彼の名前が彫られている。それはソフィだけではない。アスベルとリチャードにとっても彼が特別な存在であった証拠。
 だからこそ、ソフィは最後に挨拶をして行こうと思った。
 ただ、ラムダの返事はあまりに素気なく、挨拶も何もなかったが。
「みんなとの思い出の地を回って、みんなの想いを守りたいの。それがアスベルとの約束だから。だから、絶対に守りたい。わたしはみんなをこれからも守りたいの」
『そうか』
「ラムダも大切な人との約束を守りたいから、世界を見守るんでしょ?」
 沈黙が落ちる。素直ではない彼の肯定の印だとソフィは気付いていた。
 だから、何も言わないラムダにくすぐったそうに笑みを零す。
「でもね」
 瞬間、ソフィの顔が陰る。
「本当は今でもみんなと一緒にいたいよ。思い出があっても、約束があっても、みんながいないのはやっぱり。やっぱり、とっても、さみしいよっ……」
 耐えていた関が壊れるように喉の奥を言いようもない感情が競り上がってくる。視界がぼやけ、唇が震える。ソフィは耐えるように必死に両手を強く握った。
 泣きたくない。
 泣きたくない。
 泣きたくない。
 それでも、ボロボロと瞳からは大粒の雫が零れる。

「また教官のお話を聞きたいよ」
 ――よし、今夜はソフィにとっておきの話をしてやろう。
脳裏に蘇るのはサイコロを振るマリクの姿。大きな背中と小さな背中が毎夜のように数々と話題を繰り広げる。懐かしい空間。

「笑ってよ、パスカルッ」
――何言ってんのソフィ? ほらほら笑ってるじゃん!
太陽のように無邪気で明るくて、人懐っこい笑みが瞼に焼きついて離れない。パスカルの纏う空気は独特で、今はそれを心から見たいと思った。

「ヒューバート、隠し事は苦しいね」
――だから言ったでしょ? ソフィ、隠し事だけは絶対にしてはいけません。
 泣く事を耐えていた。悲しんでいる事を隠し、明るく振舞っていた。それがこんなに苦しいなんて事しらなかった。そう言えば、ヒューバートは苦笑しながらも慰めてくれるだろうか。

「わたし達はいつまでも友達だよね、リチャード」
――ああ、僕達はいつまでも友達だよ。ほらソフィ、手を出して。
 もう一度手を重ねたい。もう一度誓いをしたい。誓いの木に彫られた名前が年月を経て薄くなるように、重ね合ったリチャードの手の温もりも薄れていく。もう、殆ど思い出せない。

「シェリアのカニタマがもう一度、食べたい」
――仕方ないわね、今夜はソフィのリクエスト通りにカニタマね。
 ふわふわとした湯気と食欲をそそる匂い。そしてシェリアの温もり。一緒に作ったカニタマの味は頬が落ちるかと思うほどに美味しくて。でも一人で作ったカニタマは塩味しかしなかった。

「さみしいよぉ、アスベル……」
――ソフィ。
 記憶の向こうのその人は笑って頭をそっと撫でてくれた。
――無理して笑わなくていいんだ。泣きだければ泣けばいい。俺達はずっとソフィの傍にいるから。
 大好きな人。優しくて、強くて、いつでも自分を守ってくれた人。会いたかった。彼を失って間もないのに悲しみと寂しさに胸が押しつぶされそうになる。彼のくれたすべてが嬉しいはずなのに、すべてを捨ててでも傍に行きたくなる。会いたい、その一言しかソフィの唇から零れなかった。

 ソフィは涙が枯れるまで泣き続けた。止めどなく瞳から涙が零れ、頬を伝い、土に吸い込まれていく。それは雨のように黒い染みを作る。
 嗚咽を漏らしながら泣きじゃくるソフィをラムダは責める事も、慰める事もしなかった。
 だが、今はこれでいい。自分はこれから一人でこの悲しみに耐えていかないといけない。胸が張り裂けそうだ。苦しい。首を絞めつけられたように呼吸ができなくなる。あと何度とこの苦しみを味わうのか。いつかこの無限に続く終わりのない悲しみと寂しさに別れを告げる事ができる日がくるのだろうか。再び、彼らに出会える日はくるのだろうか。こないかもしれない。そう思うとより一層視界が歪み、胸の痛みが増す。
 ソフィは誓いの木の下にへたり込んだ。
 歪んだ視界の先にはクロソフィの花が揺れていた。海から吹く風にゆらゆらと。まるで子守唄を奏でる振り子のように。